☆彡 またたき1980-1998 レトロの資料館
ようこそ。ここは不定期更新のミニコラムです。 ゲームやアニメ、カードなど、昭和から平成のはじめ(おおむね1990年代まで)の 遊びの思い出を、これまで11回書きとめています。気になる回があれば、 ご感想を掲示板までお寄せください。
スーパーファミコンの名作クロノ・トリガーを改めて振り返ります。 時空を旅する物語や、カエルの騎士にまつわる挿話など、心に残る場面が多い作品です。 緻密に描き込まれたドット絵からは、当時ならではのあたたかみが感じられます。
複数の結末が用意されたマルチエンディングも特徴で、周回するたびに新しい発見があります。 ラスボスであるラヴォスへ挑むまでの過程そのものが、じっくり味わえる一本です。
ストIIは、ゲームセンターや家庭用を問わず、 人と人とが向かい合って腕を競う対戦文化を大きく広げた作品です。 間合いをはかる「待ち」の読み合いや、昇龍拳のような必殺技のコマンド入力に、 多くのプレイヤーが熱中しました。
ガイルに代表される溜めキャラクターの立ち回りなど、 キャラクターごとの個性が対戦の奥深さを生み出していました。 当時のゲーム文化を語るうえで欠かせない一作です。
ドラゴンボールは、夕方の再放送でも親しまれ続けた人気作です。 なかでもフリーザ編は、主人公がスーパーサイヤ人へと覚醒する場面が大きな見どころで、 放送当時、多くの視聴者が胸を高鳴らせながら見守りました。 世代を越えて語り継がれる、レトロアニメの代表格といえます。
駄菓子とともに親しまれたビックリマンは、 おまけのシールを集める楽しさで一世を風靡しました。 レアとされるヘッドシールを引き当てたときの喜びや、 スーパーゼウスをはじめとする人気キャラクターは、多くの子どもたちの記憶に残っています。
シールごとに設定された物語やキャラクター同士の関係性も、 コレクションの魅力を深めていました。
携帯型ゲーム機のゲームボーイは、通信ケーブルでつなぐことで対戦や交換が楽しめました。 ケーブルの長さが限られていたため、プレイヤー同士が肩を寄せ合って遊ぶ光景も、 当時ならではの思い出として語られています。
また、レンタルビデオで名作映画を借りて楽しむのも、この時代の身近な娯楽でした。 タイムトラベルを描いたバック・トゥ・ザ・フューチャーは、 今なお色あせない人気作として知られています。
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電池による記録が一般的になる前、進行状況は画面に表示される文字の並びで保存していました。書き写すのも読み上げるのも一苦労で、「ん」と「そ」、「バ」と「パ」の見分けがつかず、翌日に再開できないという事故もよく起きました。いまとなっては不便な仕組みですが、書き取った紙を大事にしまっておく感覚は、この時代ならではのものでした。
アーケードは、限られた枚数の硬貨をどう使うかを考えながら遊ぶ場所でした。1991年に稼働を始めた『ストリートファイターII』のころには、向かい合って座る対戦台が広まり、知らない人同士が黙って腕を競う光景が定着します。うまい人の後ろに人だかりができるのも、当時ならではの風景でした。
起動しないときに差し込み口へ息を吹きかける――多くの人が一度はやった動作です。実際の原因は端子の汚れや接触不良であることがほとんどで、湿気を与える行為はすすめられるものではありませんでした。それでも「吹いたら動いた」という体験が積み重なり、全国共通のおまじないとして広まっていったのが面白いところです。
学校から帰るとテレビをつける、という習慣が成り立っていた時代がありました。夕方の時間帯には再放送が組まれ、放送済みの作品に後から出会うことができました。1986年放送開始の『ドラゴンボール』のように、リアルタイム世代でなくても語れる作品が生まれたのは、この再放送文化の力が大きいといえます。
1980年代後半から、ゲーム機の宣伝でビット数が前面に出るようになります。1987年のPCエンジン、1988年のメガドライブ、1990年のスーパーファミコンと世代が進むにつれ、色数や音の表現は目に見えて豊かになりました。もっとも、設計の異なる機種を数字だけで比べることはできず、実際の面白さはソフトの作り込み次第だったのも、当時から言われていたことです。
いまのように検索できない時代、情報源は雑誌・攻略本・友だちの話でした。そのぶん誤った噂も広まりやすく、「特定の場所で操作を続けると隠しキャラが出る」といった確かめようのない話が学校中に伝わることもありました。確認する手段がないまま、それでも試してみる――その過程自体が遊びの一部になっていました。
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